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みはしのブログ

琉球染織~その1~
2019年06月14日 3代目ブログ 
こんにちは、京呉服みはし、店長の平原将吉です。


その昔、スイミングを年少から始め、体力にはそれなりに自身も有、マラソン大会で1位になったこともありました。
まぁ、小学校2年の時の話ですが(笑)それでもマラソン大会ではおおむね10位以内、中学校2年では駅伝の選手も経験。小中高と運動は贔屓目に見れば優等生と言えたと思います。

そんな私ですが、多分に漏れず、筋肉が衰え、姿勢も悪くなり、体力も落ち、腹は出てくる・・・健康診断では脂質異常による再検査(笑)

気候の変化に身体がついていかず、この3週間くらいのどの痛みと咳が治らず、ランニングも控えておりましたが、ようやく体調も良くなってきたので、ランニングを再開しました。


脱メタボ街道!!頑張ります(^_-)-☆



さて、着物の生産地は全国各地にありますが、みなさんのイメージ通り『京都』が一大産地となっております。

その他、米沢、十日町、小地谷、桐生、結城、金沢、徳島、博多、沖縄・・・その他にも全国に点在しております。


本日は、『琉球染織』・・・そう、沖縄の着物文化について少しお話をさせていただきます。


沖縄・・・琉球には着物というよりは、琉球王朝の装束としての文化が色濃く影響を受けていると言えます。


有名なもので言うと『紅型(びんがた)』などでしょうか。

bingata_siroma1.jpg
↑紅型三宗家の1つと呼ばれる「城間紅型」さんです。



黄色に関しては王族、貴族のみが着用することができた色で、赤、青と、位によって身に付けられる色が決まっておりました。

紅型とは、型絵染(かたえぞめ)の一種で、型紙を用いて染料を刷毛(はけ)で刷り込んでいきますが、紅型の場合は、鉱物性の顔料を用いて染めます。

水溶性の染料に比べると、沖縄の強い日差しを連想させるような発色の強い色味が特徴的です。

戦中、戦後、染めに必要な道具や材料を確保することもままならないなか、銃弾の薬莢や割れたレコード、拾った地図や口紅などで代用し、米軍向けのポストカードなどを作るなどし、紅型の復興に尽力したのは、紅型三宗家の一人、城間家の城間栄喜(しろまえいき)さんや知念家の知念積元(ちねんせきげん)さんと言われています。



その他には『花織』も沖縄独特の表現で、沖縄では『ハナウィ』と呼ばれています。
花織は、浮織の一種で、経糸や緯糸を浮かして柄を表現し、沖縄全土で様々な織物に使用されています。

hanaori_yomitan1.jpg
↑読谷山花織の制作途中の帯。複雑な組織で織手の高い技術を要します。


王家が身に纏う衣装には首里の地域での花織が主流で、その他には読谷村(よみたんそん)や南風原(はえばる)などがあげられます。

読谷村で織られていた花織は読谷山花織(ヨミタンザハナウィ、ユンタンザハナウィ)と言い、一度途絶えてしまい、織ることが出来る人が誰もいないなか、與那嶺貞(よなみね)さんが試行錯誤の果てに復元に成功させております。
與那嶺貞さんの、その功績と、高い技術力が認められ、人間国宝に指定されました。



ミンサーというと、沖縄のお土産としても定番品でしょうか。
綿の細帯を意味し、メンサーとも呼ばれます。

yaeyamaminsa-_hanhabaobi.jpg
↑八重山ミンサーの半幅帯。□が五つと四つでワンセット。詳細は下記の通りです。


元々は女性が男性に贈る品であり、
四つと五つの花(四角が集まった柄)は、
「いつ(五)のよ(四)も末永く幸あれ。」という意味が込められており、その両脇にげじげじの線はムカデの足を表現した模様で「足繁く私のところに通ってくださいね」という、いわゆる女性の「オッケーですよ」というメッセージでもあるのです。
何がオッケーなのか・・・それはそれぞれの妄想にお任せしましょう(笑)



宮古島ではその昔人頭税という税金が課せられていました。大きな石?岩?があり、その石よりも大きく成長した住民の数だけ働きぶちとしてカウントされ、その分の税金を課せられておりました。その税金として納めたものの代表格が宮古上布(みやこじょうふ)という麻織物だったのです。
上布とは、読んで字のごとく「上等な布」という意味で、苧麻や大麻を細い糸にして織りあげる上等な麻織物です。
宮古上布は国の重要無形文化財にも指定され、苧麻という麻の繊維を糸にした織物で、今ではわずかな生産量となってしまい、大変貴重な織物の一つです。



また、芭蕉布(ばしょうふ)はバナナの実がなる実芭蕉の仲間である、糸芭蕉の繊維を用いる織物です。主に大宜味村(おおぎみそん)という、日本でも随一の長寿の村としてテレビなどでも特集される沖縄本土の北西部に位置する村で生産されています。

戦後、材料となる糸芭蕉の畑づくりに励み、様々な柄を考案し、芭蕉布の復興に尽力した平敏子(たいらとしこ)さんは無形文化財技術保持者として国に認定され、いわゆる人間国宝となりました。
白寿を迎え、今もなお現場で芭蕉布づくりに励んでおられます。


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↑糸芭蕉の畑。着尺一反には200本もの糸芭蕉の上質な繊維だけを使用します。台風の多い沖縄では、この畑仕事が大変です。

basyouhu_seni.jpg
↑糸芭蕉の繊維。手前から中心部分の上質なナハグーと呼ばれる部分。奥に行くほど外側の堅い繊維となり、帯や民芸品に使用される。



その他にも、琉球絣で有名な大城康四郎さん、花倉織の再現で大きな功績をあげられた大城志津子さんなど、現在の琉球染織の礎となる、レジェンドがまだまだ多くおられます。


また、八重山上布、久米島、与那国など、離島も含め、様々な織物があり、沖縄全土で15品目の伝統的工芸品に指定されている品目のうち、13品目が染織の工芸品となっているほど、沖縄の文化において染織の技術は欠かせない存在なのです。


沖縄の染織を学んでいくと、琉球王国という一つの国として育まれた独自の文化は切っても切り離せませんし、誤解を恐れずに言うのであれば、沖縄が歩んできた歴史に潜む闇があったからこそ現在のような工芸技術が発展、発達したという側面も間違いなくあると思います。
しかし、そのような辛く悲しい過去を嘆くことなく、明るく前を向いて染織に向き合ってきた職人一人一人にまつわる歴史やエピソードが多くあり、琉球染織という、人間ドラマを垣間見ている感覚になるのも、個人的にはとても興味深く、面白いと思える要素です。


これらの内容は、琉球布紀行という澤地久枝さんというノンフィクション作家が執筆された本で具体的に、情緒的に描かれています。
この本も是非多くの方に読んでいただきたいと思う本です。

ryu-kyu-nunokikou.jpg


今回はこのあたりで・・・
今度は、それぞれの染織にフォーカスして、つっこんだ内容でお話ししたいと思います。
是非お楽しみに(^_-)-☆

タグ: きもの  着物  琉球  染織  紅型  花織  読谷山花織  首里織  芭蕉布  宮古上布  ミンサー 

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